2 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:57:00 ID:p9i
半分に切って食うんやで
3 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:57:01 ID:uQF
>>2
そうらしいな
4 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:57:01 ID:COl
おにぎりみたい!
5 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:57:05 ID:qhS
コストダウンで何でも小さくなるよな
6 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:58:01 ID:uQF
五百円くらいの大きさやで
7 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:58:04 ID:iKn
トロがゴミってことしか知らない
8 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:59:00 ID:uQF
>>7
昔の人は油っぽいものが苦手らしい
10 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:59:03 ID:iKn
>>8
腐りやすいからだときいたが
9 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 1:59:01 ID:XSF
どうやって握ってたんや
11 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:00:03 ID:yDQ
>>9
シャリをオニギリの要領で握る、ネタ乗せて最後の一押し
15 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:01:04 ID:XSF
>>11
やっぱ今みたいに握るのは無理か
今の小さい握り寿司はいつ頃が発祥なんやろか
17 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:02:01 ID:uQF
>>15
終戦後やで
20 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:05:01 ID:XSF
>>17
まじで??
代々受け継がれてきたもんやと思ってたけど歴史全然ないやん
22 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:06:04 ID:yDQ
>>20
ていうか今現在も常に進化中だからな
12 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:00:03 ID:uQF
江戸時代の人気の寿司は「海老」「コハダ」「玉子」「たい」「あなご」「白魚」「あじ」「いか」「たこ」「はまぐり」やで
14 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:01:04 ID:iKn
>>12
ニンキッてなんだろう
メジャーってことか?
13 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:00:04 ID:iKn
確かに昔の日本食は脂肪少なめ、塩分多めだったらしいし
そういう面もあったか
16 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:01:05 ID:uQF
冷蔵技術も未発達やから寿司ネタのほとんどは酢で〆る、醤油で漬ける、火を通すなど下処理
18 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:03:02 ID:uQF
ちなみに価格はネタによるが屋台の寿司でひとつ4~10文(約60~150円)
19 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:04:00 ID:uQF
21 名前:名無し@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:06:01 ID:uQF
まぁ米は貴重だから戦争中は
23 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 2:11:01 ID:9G5
酢も変わってる
昔は赤酢今は米酢
24 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:24:05 ID:5aH
醤油の代用だった煎り酒っていうので食ってみたいな
26 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:27:03 ID:sLi
個人的にぬるい刺身を出された時に思ったのはぬるいあぶらまずっ!だったからトロは味的な面もあったかも
ネギま鍋では食っとるし
27 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:28:01 ID:pW1
寿司が2つで1貫なのは切って出したからだとか何とか
28 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:30:00 ID:VIR
おなか減ったよぅ・・・
お刺身食べたいよぅ・・・
29 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:32:04 ID:Nza
串カツのように醤油は共有二度漬け禁止だったので二つに分けた
現在一皿二巻なのはその名残
31 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:34:05 ID:VIR
二度付け禁止だからってのはサイズ的に一度で付けるのが困難だったからってこと???
32 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:35:05 ID:sLi
>>31
てゆうかどんぶり的なやつに醤油が入ってて、そこにみんなでつけて食ってたから
33 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:38:00 ID:VIR
>>32
なるほどな、そういう感じだったんやな
ただ、俺が聞きたいのは二つ分かれた原因はサイズ的に大きいと一度で付けるのが困難だったかってことなんやが
35 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:43:02 ID:sLi
>>33
食うのが大変だからと、二度付けばっちいからじゃね
醤油どんぶりのそこにはめちゃ米が沈んでたらしい
二つに切ったら一口で食えて、今では江戸前寿司って比較的小さい握りって勘違いしてる地方民もマジでいる
36 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:44:01 ID:pW1
>>33
おにぎりくらいあるのをどんぶりのしょうゆで均等につけるのは無理ゲーすぎたからやろなぁ
あと置く皿がなかったらしい
34 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:40:00 ID:Nza
漬けとかアナゴとか加工したネタばかりだったのは保存技術がなかったのと庶民が食べる魚は腐る寸前の鮮度の悪いものばかりだった為
37 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 3:45:02 ID:sLi
>>34
というか、屋台は昼過ぎから夜のもんだからしゃあない
39 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 4:07:00 ID:qEP
マグロは漬けだしな
ほぼ青物ばっか
40 名前:名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/10/17 4:14:01 ID:f4Q
この大きさなら小僧もお腹いっぱい
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1476636994/
このサイズなら手で食わざるを得ないわなw
屋台にちょいと寄ってでかい寿司にかぶりつく。
たしかにファストフードだ。
元々、おにぎり系ファストフード感覚じゃなかったっけ?
座敷で食べる寿司みたいなのが始まってから、それに合わせて小ぶり化(一口化)して行ったと。
何かの寿司系漫画で見た記憶が。。
※3
大体今もてはやされるような日本文化って庶民文化発祥だったりするしね、浮世絵なんかも。
何でもそれなりに職業になってた時代だったからと言うのもあるかも知れない。
元々は酢や塩分で腐りにくくした生魚とか使ったオニギリ
漁師や市場の連中のファストフードだった
戦後小さくなったのは、料理として認められていろいろな種類を食べるために
腹膨らます食い物から技術と味の「料理」に昇格したって訳だ
魚河岸から始まった吉野家の牛丼も高級高額料理になれるポテンシャルが
※5
>漁師や市場の連中のファストフードだった
これ本当なのですか?江戸時代じゃないですよね、何時代?
風呂上がりに屋台で2つ3つ食って帰るのが普通だったらしいぞ
今のOLの摂取カロリーは終戦直後並
※デブを除く
志賀直哉「小僧の神様」を読もう
※7
江戸時代だゾ
あの時代は人口が増えないのに農業生産は増えてるから結構豊かなのだ。(東北農村部除く)
漁師は刺身で食べそうだけど、江戸時代の漁師は生魚は食べないの?
こいつを今の時代に復活させたらまた人気出たりしないだろうか
コンビニおにぎり的に
うおお、こんなにタイムスリップしたいと思ったことはねぇ!
行った先でのたれ死んでも本望です。
やはり糖質制限が流行ってるんだな
※5
戦後に料理としてのイノベーションが起きたってことは、伝統と言える歴史70年ほどしかなくね?
しかも江戸前に至っては高度成長期時代の公害で一度断絶してるし……
これで玉子焼きに10年は、腕組系ラーメン屋の秘伝のスープと変わらん気がするな
池波正太郎も、昔は小判ぐらいある寿司を半分に切って食べさせる店が好きだった、みたいなこと書いてたな。
因みに個人的には今のよくある寿司酢より、赤酢使ってるやつの方が好きだなぁ。
でっかいコハダが食いたいぃ!
昔の寿司はそもそも酢飯が本体だからね、おにぎりでいう具と米の関係なんだから、そりゃ大きくて当然よ
あと寿司はよく庶民や屋台とかいうけど、江戸三鮨といい高級寿司もあり、それこそ大身旗本などのおエライ様しか食べることができないものだった
江戸三鮨とは、
毛抜鮓(1702年~、現在も営業中)
与兵衛寿司(1824年~、わさびを初使用、関東大震災以後没落し昭和5年閉店)
松が鮨(1830年~、華麗な色彩感から進物として大人気で江戸中で最も贅沢な寿司として有名に、後に水野忠邦の倹約令で処罰を受けた)
>>7
江戸時代にも漁師はいたし市場はあったんですが…
※5の書き方だと(江戸湾の)漁師や市場の連中しか寿司食べてなかったように思える
でもそうじゃないですよね
江戸時代の江戸の寿司屋はどういうところに店を出してたんでしょう
一貫が大きいから分けて2個で一貫だったのに
分けて更に小さくした一個を一貫と言うんだね。
まず江戸時代が250年くらいあるんだからさあ
江戸後期のおかず番付魚版を見ると大関はイワシ・メザシで関脇がアサリ・ハマグリ
ハマグリなんかはかなり採れたんで安かったみたいだな
前頭辺りからマグロが出てくる。筆頭は赤身の味噌汁だって
保存の術がない脂身は猫の餌扱いだったみたいだな
しかしほかにもマグロきじ焼きとか芝海老豆腐、芋煮ダコなんか実に旨そう。江戸の食文化は豊かだったんだなあ
そもそも江戸後期になるまで醤油は庶民には高嶺の花で、煎り酒やら酢味噌やらで刺身食ってたらしいしな
江戸後期になって近郊で醤油が作られるようになって、そこから食文化は大きく花開いたのかも
醤油って偉大だよなあ
醤油も高嶺の花だったんですか!バナナは昔高かったとか牛肉は昔は高かったとかよく聞きますが。
でも昔は環境汚染がなかったり騒音がなくて羨ましいです。
江戸時代の男性は米を1日五合食べていたらしいですが、昔のお米は無農薬が当たり前で羨ましいです。
刺身ひときれを一滴のタバスコだの酢だので食ってる俺は江戸時代の刺身事情にも対応できるな
あのデカイのを2つして、その2つを1つとして計算するから、
お寿司は2つで一貫という。
京都の親戚の家に行った時、出前の寿司のシャリの大きさに驚いた
ネタの大きさは変わらなくて、ネタとシャリが同じ大きさだった
巻き寿司や箱寿司は東京と同じ大きさだったのが不思議